眠りの森のレインとシェイドW

 

ずいぶんと長い夢を見ていた気がする。

その夢が何だったのか、目覚めた時には、もう覚えてはいなかったけれど。



まぶたが重い。
長い時の中、目の開け方すら忘れてしまったようだ。

かすかに雨の音がする。

細く、小さく、やわらかな雨音。

以前、雨と同じ響きをもつ少女を知っていた気がする。

そのかすかな記憶が雨音とともに、まだ目覚めきらないオレの脳に、甘やかな匂いを運んでくる。

さああぁぁ…、ぱしゃぱしゃぱしゃ。

さああぁぁ…、ぴちょん、ぱしゃん。



ああ、そうだ。

――レイン。

レインに・・・。

・・・レインに、会いに行かなきゃ。

あいつを、起こしてやらなきゃ…。



目を開けると、そこには天井をびっしりと埋めつくすイバラのつるがあった。

まだ、はっきりしない頭を左右に振って、あらためて辺りを見回す。

天井だけではなく、壁、床、部屋中がイバラに覆われていた。

「ここ、本当にオレの部屋か?」

不安に思わずつぶやいて目をこらす。

イバラのむこうにわずかに見える壁紙や家具は、古ぼけてはいるけれど、たしかに見覚えのあるオレの部屋だった。



一体、何が起こったんだ?

オレが眠っていたのは、百年にわずかに満たない時間だ。

確かに途方もない時間だが 、ここまで城が荒れ果てるなんて・・・。

そのとき、かつて自分が胸のうちで呟いた言葉が、耳元に聞こえた気がして背筋が凍った。

 

『百年といえば、国が滅びるか滅びないか、というくらいの時間なのだ』

 

 

まさか、そんな、本当に、この国が滅びた・・・?

オレは、慌てて窓に飛びついた。

窓には、部屋の内側からも外側からも、イバラのつるがビッシリと覆っていて、外がほとんど見えない。

「クソッ!!」

オレは窓を開けようと、イバラにつかみかかる。

棘が、手のひらに激しい痛みを与えるのもいとわず、必死につるをかきわける。

なんとか窓を開け、外側のイバラもかきわけ、ようやく、オレの頭が入るくらいの空間が部屋から外へとあいた。

 

すると、開いた空間のその先に、城の高い塔が見えた。

いや、『かつての城の』というべきか。

塔も、オレの部屋と同じようにイバラで覆われ、もはや、昔の姿をそこに見出すのは困難だ。

 オレは、その目を塔の一番上へとやる。

そこに、レインの部屋があるはずなのだ。

だが、オレは思わず呟いた。

「・・・どういうことだ?」

 

見える城のほとんどを覆い尽くすイバラ。

それが、だが、そのどれも植物が成長するのにまかせた、自然な繁殖だ。

だが、レインの部屋のまわりのイバラは、それとは印象を大きく異ならせていた。

球。

イバラはレインの部屋を中心に巨大な球形を形づくっていた。

 

異様な光景だった。

あのイバラの球の中で、レインが一体どうなっているのかと想像するだけで、体中が不安に包まれる。

オレは、ベッドのわきに置いてあった剣をつかむと、窓から飛び降りた。

 

途端、オレにむかって、何か黒いものがいくつも飛んできた。

「ぅわっ!!」

叫んで、まだ鞘に納まった状態の剣を振る。

 

ゴゴッという鈍い音とともに、鞘でなぎはらったのは複数匹のコウモリだった。

見れば、イバラのつるや崩れた建物で洞穴のようになった箇所がいくつかある。

そこの奥に黒いものが蠢いている。

どうやら、このコウモリたちはあそこに巣食っているようだ。


「でも、まあ変な魔物が出てくるよりマシか」

気をとりなおして、そう呟いた瞬間、背後からオレを覆ってなお余りある巨大な影が、ぬっと現れた。

そのまがまがしいシルエットは、まさに魔物のそれだった。

「おいおい、聞き耳たててたのか?」

オレは内心、冷や汗が出そうになるのを押し殺して、余裕ありげに笑ってみせる。


気付かれないよう、そっと剣を構えなおし、足元にある特に太いイバラのつるを踏みしめて確認する。

ふーぅっと長く息を吐き出し、新しい空気を肺に送り込む。

ジャリッ。

音がして、背後の影が近づく。

あと二歩…、………一歩。

 

魔物のシルエットがオレに襲いかかった瞬間、すばやく右に飛び退る。

振り向いて見上げた魔物は、影から想像していた以上に巨大だった。

大きさは、風車小屋くらいはあるだろうか。

全体的には古代の肉食恐竜を思わせるフォルムをしているのだが、肩から獅子と山羊の頭が生え、背中に剣山のようなタテガミが生えているのを見ると、どうもこいつは複合獣(キマイラ)のようだ。

 

オレは、腰の剣に手をかける。
 
その時。

ヤツの肩から生えている獅子の顔と山羊の顔が同時にオレを見下ろした。

その瞬間、不覚にも背中がゾクリと震えた。

それは、オレの中の『動物としての恐怖』。

魔術によって、人工的に生み出された亜種。

それは生物であって、生物でない。

何の目的もなく、ただ破壊するだけの、魔物。


 
鋭い爪をもった両手がオレへと伸びる。

オレの腕ほどもある巨大な爪だ。

貫かれたら、ひとたまりもない。

「くそっ!!」

短く叫んで、後ろに飛ぶ。

巨大なキマイラは、腕も長く巨大だ。

すぐに追いつき襲い来る鋭い爪を、剣で弾きながら走る。



 
キマイラに追われながらも、ただガムシャラにイバラの森の中を走り抜ける。

眼前にイバラの藪がせまる。

慌てて、右を見る。

こっちもイバラの壁だ。

左は――、くそ、こっちもか!

背後には迫り来るキマイラ。

・・・くそっ!!!こんな!!!

レイン、お前を追って百年の眠りについたっていうのに。

お前に会うことすらできないっていうのか!!?

ギリ、と音がしそうなほどに剣を握り締める。


 
「――レイーンッ!!!!!」


 
その瞬間、オレの周りを取り囲んでいたイバラの蔓が、一斉に動き出した。

まるで生きているかのような、その姿。

「!!」

とっさに驚いて、腕で顔をガードする。

と、イバラはそんなオレの脇をすりぬけて、オレの背後へと一直線に向かっていった。

「な、なんだ!!?」

 
戸惑うオレに、イバラの蔓は当然、答えてくれるはずもなく、一斉に向かっていく。

襲い来る、キマイラへと。

キマイラも、とっさに腕をのばし、イバラをなぎ払おうとした。

だが、後から後からイバラはキマイラへと襲い掛かる。

すでに、その両足はイバラの蔓に絡め取られ、動けなくなっている。

 
オレは、呆然とその光景を見つめていたが、やがてハッとした。

この隙に逃げるんだ!

塔へと向かう道を探そうとした瞬間、オレは再び自分の目を疑った。

オレの足元から、塔まで、まっすぐに道がのびている。

先ほどまでしげっていたイバラは、そこだけ無く、まるでオレを誘導しているかのようだ。



 
何かの罠じゃないか。


そんな考えが一瞬浮かぶ。

けれど、迷ってるヒマはない。

――行くんだ、レインの元へ!


 
イバラの壁の中にできた真っ直ぐの道を走るオレの耳元に、あの日のレインの声が聞こえた気がした。



 
 
『――イバラって、すっごい必死で可愛いと思わない?』


 
『こんなに可愛い花なのに、負けるもんかって一生懸命トゲを出して――』


 
・・・・・・レイン、このイバラは、もしかして。


駆け抜けるオレの鼻を、イバラの甘い香りがくすぐる。


キマイラは、すでに全身を絡め取られ身動きが出来ない。


見上げる塔の最上階には、イバラの蔓で作られた巨大な球。




 
――その時、それまでは禍々しく感じたイバラが、オレとレインを守る美しい盾に見えた。