眠りの森のレインとシェイドV
グレイスの部屋は静かだ。
森の奥まったところに人目を避けるようにして建てられているせいか。
いや、それならもっと虫やフクロウなんかの声がするはずだ。
この部屋には、それすら聞こえない。
まるで、ここが世界から切り離された空間ででもあるかのような錯覚を抱く。
そしてまた、この部屋は極端に物が少ない。
がらんとした空間には、必要最低限の家具はあるが、通常の家に見られるようなこまごまとした雑貨がない。
余計な物のない部屋は、音を吸収しない。
発した音は、ただ空間に取り残されるだけだ。
オレの言葉も、何か異質なものであるかのように、部屋の中に響いた。
『オレに、レインと同じ魔法をかけてください』
グレイスは、その言葉にすぐには答えなかった。
オレも、自分の言葉に何も付け加えたりすることはなかった。
2人の間に、沈黙が横たわる。
オレはゆっくりと息を吐き出す。
自分が発した声が、言葉が、ようやくじんわりと体の中を巡ってきた。
レインが倒れて、グレイスから「魔女の毒」のせいだと聞き、そしてレインが100年の眠りについてから、ずっと考えていたこと。
グレイスが口を開いた。
「・・・貴方が言っているのは、プリンセス・レインと共に100年間、深い眠りにつく、ということですか?」
無言で頷く。
「100年後、プリンセス・レインが目覚めない可能性もあるのですよ?」
今度は頷かずに、グレイスの目をただ見つめ返す。
「今の貴方の生活の何もかもを失って、それでも何も得られないかもしれないのですよ?」
グレイスの問いは、ここに来るまでにも何度も自問自答した言葉だった。
それに対する答えは――。
ふいに、部屋の中に、ぽつんと灯されたランプの明かりを見つめる。
そして、ゆっくりとまぶたを伏せて、 息を薄く吸い込む。
「何も出来なかった自分を呪ったまま、レインのいない世界で生きることはオレにはできません」
言葉を口から出して、ようやく自分の行くべき道筋が見えた。
そして、その先に見える灯火も。
それは、目の前に揺らめくランプの明かりのように、小さな灯火ではあるけれど、暖かく、確かにオレを照らしている。
――レイン、きっと、お前がこの灯火なのだ。
ふいに、グレイスが小さく溜息をついた。
・・・やはり、「バカなことを言っている」と一笑にふされるのだろうか。
オレは、また不安になる。
いくらオレの気持ちには迷いがなくなっても、グレイスが魔法をかけてくれなければどうしようもないのだ。
けれど、オレのそんな不安に反して、グレイスは少し困ったような笑みを浮かべて言った。
「・・・分かりました。
プリンセス・レインのそばにいて差し上げて」
オレは改めて、グレイスの顔を見つめなおした。
その顔はあくまで優しく、そして威厳に満ちていた。
「貴方に魔法をかけましょう。
プリンセス・レインと同じ、100年の眠りにつく魔法を・・・」
「あ、ちょっと待ってください」
急に思いついて、グレイスの言葉をさえぎる。
さすがのグレイスも眉根を寄せる。
「すみません・・・。
100年じゃなくて、99年と364日、にしてもらえませんか?」
「――はい?」
グレイスが思いっきり首をかしげる。
「その・・・、レインが起きる時にそばにいてやりたいんで・・・」
オレが、自分の髪をグシャグシャとかき回しながら言うと、グレイスはクスリと笑った。
「それは、プリンセス・レインが起きた時、寂しくないように?」
「・・・それもあるんですけど。
――あいつ寝坊なんで、起こしてやらないと」
すると、グレイスはプッと吹き出した。
「クッ、クスクスッ・・・、アハッ、アハハハッ!!
アハハッ・・・、ご、ごめんなさいね・・・、笑ったりして・・・。
そ、そう、プリンセス・レインはお寝坊さんなの・・・」
「ええ!
むか〜しから起きるのが大の苦手なんですよ、あいつは。
いっつもオレとか婆やさんとかが何回も起こしに行って、やっと起きるって感じなんですから!」
こんなに可笑しそうに笑うグレイスを見たのは初めてだったので、何となく嬉しくなってついつい大げさな口調になる。
グレイスは、ますます笑いを抑えきれない。
クスクスと笑いながら、にじむ涙をぬぐう。
「そうね、私からもお願いするわ。
100年も眠ってたら、きっと目覚まし時計くらいじゃ起きそうにないものね」
そして、オレたちは顔を見合わせて笑った。
――それから、数時間後、オレは城の一角の兵専用寮の中にあるオレの部屋にいた。
オレの部屋は、この数時間の間にグレイスの部屋に負けず劣らず、物が少なくなっていた。
この部屋は、これから100年の間、開かずの間になるらしい。
そのため、不要なものは寮に寄付するなどして処分したのだ。
100年後に使うかどうか、と考えると本当に必要な物というのは驚くほど少ないものだ。
オレは、常人よりも長命だというグレイスの部屋が、あんなにも簡素だった理由が何となく分かる気がした。
グレイスとオレは、グレイスの家を出ると真っ直ぐに、王たちに報告をした。
初め、王がオレの顔を見た瞬間、オレはてっきり怒られると思った。
オレがレインの為に100年の眠りにつきたいということ、それは『オレがレインを愛している』という事と同じだからだ。
たとえ、幼馴染だといっても、オレはただの衛兵に過ぎない。
姫に想いを寄せるなんてことが許されるわけがないのだ。
オレは、罵倒されるのを覚悟して拳を握った。
それと同時に『いくら王に反対されようと、譲るものか』という決意を深くしていた。
そんなオレの考えに反して、王はオレに頭を下げたのだ。
考えられないことだった。
小国とはいえ、一国の王が。
ただの衛兵に。
オレは、ベッドに腰掛けて、あの時の王の言葉を改めて胸の中で繰り返した。
『本当なら、私もレインとともに眠りにつきたいところなのだが、
王という立場上、それも出来ない。
――シェイド、私の分も守ってやってくれ。
レインを・・・、この国を』
あの時は、王がオレに頭を下げたことと、レインへの想いが許されたことに、ただ驚いていたが、改めて王の言葉を思い出して、一つ引っかかったことがある。
『守ってやってくれ。
・・・この国を』
この国を、守る・・・?
オレが?
王は、一体どういうつもりであんなことを・・・?
その時、ドアがノックされた。
返事をすると、グレイスが入ってきた。
グレイスは、儀式用の正装に着替え、手には杖を持っている。
「・・・準備は、よろしいですか?」
「・・・・・・ああ」
短く答えて、ベッドに横になる。
使い慣れたベッドが何だか初めて触れるもののように感じられる。
オレは横になったまま、かたわらに立つグレイスを見る。
グレイスは、無言で頷くと小さく息を整えた。
そして杖を両手で握り締め、両眼を閉じた。
グレイスの口からオレの知らない言葉が紡がれていく。
その言葉が、オレとグレイスの体を淡い金色に包んでいく。
まぶたが重たい。
体の力がゆっくりと抜けていく。
閉じられつつある視線の先、窓の向こうに、城の主塔が見える。
あそこに、レインの部屋はある。
・・・目が覚めたら、かならずオレの気持ちをお前に伝えるからな。
瞼の裏に、レインの笑みを描きながら、オレは目を閉じた。
――眠りにつく寸前、オレはグレイスの声を聞いたような気がした。
「・・・ごめんなさい。
私は、あなたに託すしかできない・・・」
――?
―――何の、こと、だ・・・?
その疑問を口にすることもできないまま、オレは深い眠りについた。