人魚姫のレインとシェイド
Vol.4
レインを抱きかかえながらで、ちょっとやりにくそうにシェイドはレインの部屋の扉を開けた。
メイドの質素な部屋は古びたベッドと小さな棚があるだけだ。
それでも、レインは1人部屋なだけ贅沢だった。
正式なルートで雇われたわけではないレインは、入ってきたとき使用人用の部屋に空きが無かった。
その為、物置代わりに使われていた、窓も無い北の小さな部屋をあてがわれていた。
そっとシェイドはレインをベッドに降ろす。
申し訳なさそうな顔で見上げるレインに小さく微笑むと、優しく、その額に手をやった。
「もう、大丈夫だ。
今夜はゆっくり眠ってろ」
少しぶっきらぼうな口調がかえって、彼の優しさを感じさせて、レインもつられたように微笑む。
額に置かれたシェイドの手のひらの冷たさが心地いい。
全身を包む安心感に瞼がゆっくりと降りてくる。
シェイドが小さな安堵のため息を漏らす。
部屋を出て行く微かな扉の音と、密やかに残された「おやすみ」を聞きながら、レインは静かに眠りに落ちた。
4章「この目を貴方で満たして」
レインは朝になって、昨夜のことを思い出して1人で顔を真っ赤にしていた。
口のきけないレインを哀れんでか、シェイドは普段からレインには優しかった。
だが、あんなに近い距離で彼の顔を見たのは初めてだった。
いつもは鋭い瞳が柔らかく微笑んだのが、瞼の裏から離れない。
あの人は、いつもこうして私を喜ばせる。
人間になったばかりで歩くことに不慣れで、足は血まめと傷だらけだった頃。
それに1番最初に気づいてくれたのも、王子である彼だった。
そのふらつく足で、たくさんの荷物を抱えていた時も、他のメイドに見つからないように、こっそりと持ってくれたのもシェイドだった。
その優しさや、公務に対する厳しさ、剣術の腕の確かさ。
それらに触れるたびに、どんどん彼に惹かれていった。
シェイドにはファインがいる。ただ私を可哀想な子だと思っての、ほんの気まぐれなんだ。
そう自分に言い聞かせようとしても、気持ちは止められなかった。
ダメだわ、このままじゃ・・・。
シェイド様は、もうすぐ婚約されるのに。
パーティーの日が近づくにつれて、城は慌しくなっていた。
レインも例外ではなく、色々な雑用に振り回されていた。
目の回るような忙しさの中、シェイド王子の姿を遠目に見かけることも何度かあった。
だが、その度にレインはシェイドの姿から目をそらしていた。
あの夜のことを思い出して多少気恥ずかしいのもあった。
だが、それ以上にレインの中に強くあったのは、シェイドへの恋心をあきらめようという切ない決意だった。
婚約発表パーティーの前日、前夜祭として催されたダンスパーティー。
明日よりは少ないが各国の人々が集まり、気の早い祝いの言葉を国王たちに述べていた。
軽やかな音楽が広間から聞こえてくる。
レインは、その声を聞きながら給仕や、その他の仕事に忙しく働いていた。
仕事も板についてきて、仲間との呼吸もあってきた。
すると、メイドの内の数人が「きゃ〜」と小さな歓声を上げた。
どうしたんだろう?と思ってみると、広間に大臣の息子のブライトが来たところだった。
ブライトは優しく穏やかな性格と、爽やかな笑顔で国中の女の子の人気をシェイドと2分していた。
もちろん、メイドたちの中にも彼のファンは多いのだ。
薄茶の髪を揺らして、ダンスを踊るブライトは、まるで童話の中の王子様のようだった。
彼も、ファインと同じく、シェイドの幼馴染だという。
本当に、ファインさんて羨ましいなぁ・・・、こんなステキな人たちに囲まれてるなんて。
広間の光景を横目に、レインは飲み物を運ぶ。
「ちょっと休憩してきていいよ」
来客の波が一旦おさまり、デザートまで料理の給仕は無くなったのを見計らって、メイド頭がレインに言った。
え、でも、飲み物とかは・・・。
というレインの表情を見て、メイド頭は軽くウィンクした。
「飲み物程度だったら、あそこでブライト様見てキャーキャー騒いでる子たちにさせるからいいよ。
レインはさっきから、ずっと走り回ってるじゃないか。
また血まめ作ったら、私がシェイド様に怒られちまうよ☆」
その言葉にレインはクスッと笑って、ぺこりとおじぎをした。
新鮮な空気が吸いたくなって、広間のすぐ外の庭に出た。
三日月が細く光る夜空は、キリリと引き締まった美しさを帯びていた。
夜風に髪を遊ばせて一息つく。
「・・・お前は、よっぽど夜に外へ出るのが好きみたいだな」
いきなり後ろから声をかけられて驚いて振りかえると、少し呆れたようにシェイドが笑っていた。
その笑顔を見た途端に、決意が揺らぎかけた。
自然に顔が熱くなっていくのを感じる。
何で、こんなタイミングでばっかりこの人は現れるんだろう。
そんな事を思っても仕方ないのだけど。
はた、とレインは何かに気付くと、広間の方を指差した。
シェイドの頭の上に?マークが浮かぶ。
レインの示す先には、踊る人々の姿。
次にレインはシェイドを指し示し、首をかしげた。
「オレは、踊らないのか、て事か?」
そうシェイドが言うとレインはコクンと頷く。
シェイドは少しうつむいてガシガシッと頭を掻く仕草をした。
「・・・ちょっと、そんな気分じゃなくてな」
今度はレインの頭の上に?マークが浮かぶ。
シェイドは苦笑を浮かべて、それからイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「それともレイン、お前が踊ってくれるか?オレと」
声が出たら思いっきり叫ぶところだった。
だが戸惑う間もなく、シェイドはレインの手を取った。
ダンスの経験は全く無いレインだったが、シェイドが手をひくタイミングやステップが心地よく、聞こえてくる軽やかな音楽に自然と体が動く。
この人は、きっとリードが上手いんだ・・・。
妙に冷静に、そんな事を思いながら、レインの目はシェイドから離せなかった。
こんなに近くでシェイドの顔を見たのは、あの夜以来だった。
諦めなければ、と思っていたのに、どうしてもどうしても・・・、押さえきれない。
庭の片隅、薄い三日月の下で2人は踊る。
庭木に囲まれた、そこは、まるで2人だけの空間のようで。
レインは思わず、恋心を隠し切れずに潤んだ瞳でシェイドを見つめる。
もう少し、この時間が長く続けばいい。
心の底から、そう思った・・・。