人魚姫のレインとシェイド

 



「・・・はぁ」

夜の闇に小さく息をついて、レインは城の庭を流れる小川に足をつけた。

冷たい水が疲れた足に心地いい。

人魚だったレインが、魔法の薬で人間になってから数ヶ月が経っていたが、いまだに歩く事には慣れなかった。

最初の頃よりはマシになったんだけどな、と思いながら、そっと足をさする。

 

思い出すのは、魔女の元に訪れた時の事。

人間になれる唯一の方法として、差し出された薬。

『もしも、想いが叶わなくてシェイド王子が他の誰かを愛するような事になれば、あんたは海の泡になって消えるんだよ。』

魔女のしゃがれた声が言った。

そして、この薬を飲めば、声を失うとも。

――けれど、そこまでしたのに想いは叶う事は無かった。

 

3章:「夜の中に隠して」

 

 

今日、王様が皆に来月初めにパーティーを催すと告げた。

大切な発表があるのだと。

その日を待たなくても、何の事かは皆が分かっていた。

・・・シェイド王子の婚約発表だ。

 

シェイド王子の横にいる赤い髪の少女の姿が浮かぶ。

伯爵家の末娘の少女、ファインは天真爛漫さと愛らしさで知られ、シェイド王子とも幼馴染だという。

レインも何回か城で見かけたことがある。

年のころはレインと同じくらい、そばにいるとこちらまで楽しくなるような少女だ。

王様やお妃様もファインを気に入っていて、以前からシェイドの妻に、と言っていたようだし、それが伯爵家にとって悪い話であるはずが無かった。

 

「・・・はぁ」

レインは本日2回目になる溜め息をついた。

あんなに恵まれていて、誰からも愛される、なんて羨ましいんだろう。

私は、声も尾びれも失って、それなのにシェイド様の心を手にする事は出来なかった。

月のない夜空なのに、やけに星が明るくて、こんな悲しい気持ち隠してしまいたいのに、それすら叶わなくて泣きそうになる。

その時――、背後で人の動く気配がした。 

 

ダンッと地面に押し付けられた手が痛む。

咄嗟のことに、レインは何が起こったか分からなかった。

身動きが出来ない。

見上げると、星の明かりに照らされて、2人の男がいた。

見かけたことのある、城の下働きの男たちだった。

その男たちにレインは押し倒されていた。

素行の悪さでメイド仲間の間でも評判が良くなかった事を思い出した。

ゾクリ、と背中を恐怖が上がっていく。

全身が震える。

叫び声もあげられない、自分の身をこんなに恨めしく思ったのは初めてだった。

目の端に男たちのニヤつく顔が映る。

男の手がレインの服のボタンにかけられる。

恐怖と悔しさに涙があふれる。

(シェイド様っっ・・・・・・・!!!)

 

――声にならない声が叫んだ瞬間、

ヒュッと風を切り裂く音がして、光が一筋踊った。

「ぅあぁあっ!!」

男たちが叫び声をあげる。

彼らの腕から鮮やかな血が飛んだ。

「な、何だっ!!!」

男たちが振り向いた先には、シェイド王子がいた。

 

長剣を手にしたシェイドは男たちを鋭く睨みつける。

「お前ら、ここで何してる?」

低い声が夜空の下でよく響いた。

「事と次第によっちゃ、そんな掠り傷では済まさん」

チャキ、と剣を握りなおす音を合図のように、男たちは後ずさりし、一目散に逃げ出した。

 

レインは信じられない思いで、シェイドを見上げた。

声が聞こえたはずは無いのに、何で・・・。

そのレインの思いが伝わったかのようにシェイドは言う。

「部屋の窓から、お前の姿が見えてな。

気になって眺めてたら、あいつらが近寄っていったから、走ってきた」

え、私を、な、眺めて・・・!! し、しかも走って・・・っ!

レインは歓喜と驚きと焦りで、頭の中がグチャグチャになりそうになった。

シェイドがスッと手を差し出す。

「ケガは無いか?」

コクンと頷いてレインはその手につかまって立ち上がろうとした。

だが、立ち上がれなかった。

体が言う事をきかない。

先程の恐怖で、腰が抜けてしまっていた。

手に、足に、力を込めるが全くダメだった。

レインが自分の体に戸惑っていると、ふいに体が持ち上がって地面が遠くなった。

 

えっ? えぇ!!?

シェイドの顔が近い。

レインはシェイドに完全に抱えあげられていた。

これって、お姫様抱っこだぁ・・・。

メイド仲間の人が言っていた単語が浮かんできて、妙に冷静に今の状況を分析した後、急に顔が熱くなってきた。

わ、わた、私がシェイド様に、お、お姫様抱っ、こ、され・・・!!

顔を真っ赤にして、慌てふためくレインに構わずシェイドは歩き出す。

え、ど、どこに!?

咄嗟にシェイドの服を軽く引っ張って目で問う。

するとシェイドは、今更何だ、とでもいう様に言った。

「歩けないんだろ?お前の部屋まで送る」

あぁ、この人は何て何でもないように、こんな事を言えるんだろう。

今日の星じゃ明るすぎて、この赤い顔を夜の中に隠してもおけない。

レインは、ますます熱くなる頬を押さえた。

耳にシェイドの暖かな鼓動を聞きながら。















 

 

vol.3