人魚姫のレインとシェイド
2章:「たった一目で」
――ようやく、海の外の世界が見られる。
今日で15歳の誕生日を迎えた人魚姫は、逸る心を抑えながら海の中を上へ上へと泳いでいった。
大きくぼやけていた月の輪郭が次第に明確になっていく。
魚たちは、もう寝ているようだった。
昼間とは違って静かな海の世界に、ふいに不安になる。
と、人魚姫の周りを淡い星屑のようなものが取り囲んだ。
それは珊瑚の卵だった。
満月の夜にだけ見られる幻想的な光景に人魚姫はうっとりとする。
まるで、今日の自分を祝福してくれているみたい。
そう思った。
そして、姉たちから愛される柔らかな微笑みを浮かべると、再びゆっくりと上に向かって泳ぎだした。
ザバァッ!
海面に出した顔を、夜風がくすぐった。
初めての外の空気。
いつも海の中で暮らす人魚姫には、慣れるのに時間がかかる。
人魚姫は姉たちに教えられた通りに、注意深く息を吸って吐いてを繰り返した。
普段は、ほとんど使わない肺をゆっくりと膨らませる。
「ほぅ・・・」
ようやく、外の空気に慣れて、ホッとして息をつく。
その時に、遠くで美しい花火が打ちあがった。
音の方に目をやると、そこには一隻の豪華な船。
その船の姿に不思議に心惹かれて近づくと、優美な音楽と人々の歓談する声が聞こえてきた。
初めて、人間の姿が見られる。
そう思って身を乗り出すようにして、更に近くまで泳ぐ。
その時、ガチャリ、と音をさせて1つの影が船室から出てきた。
瞬間、人魚姫は目が動かなくなくなったのではないか、と思った。
船の上には、1人の青年が立っていた。
黒地のスタンドカラーに銀糸の縁取りの衣装。
風になびくマントのみ月を受けて輝くような白だった。
そして、何より人魚姫の心を捕らえて離さなかったのは、その青年の目。
まるで、夜の空を写し取ったような深い色をした瞳。
なんて、不思議な空気を纏った人なんだろう。
青年が、しばらく物陰に行き、人魚姫の視界から消えた後も、眼球に青年の姿が焼きついたように残っていた。
もう1度、その姿が見たい。
そう思って、船に近づいた。
その時、
「何かいるのか?」
そう、声が上から響いて青年が再び姿を現した。
――人魚の存在を知られてはならない。
海面に上がるのを許された時に、父親から言い渡された言葉が浮かぶ。
慌てて隠れようと身を翻す。
その瞬間、ドォォンという爆発音と共に光と熱が頭上に巻き起こった。
自分の周りに爆発で吹き飛ばされた破片が次々と降ってくる。
何が、何だか分からなかった。
顔を覆った手の隙間から、周りの光景を覗き見る。
すると、不安に駆られて見た空に、吹き飛ばされた青年の姿があった。
バッシャァァーーン!!
激しい音と水しぶきをあげて、海面に叩きつけられた。
人魚姫は、顔からザッと血の気が引くのが分かった。
次々と降ってくる破片の中、海中で青年の手をつかむ。
海面に打ち付けられた時に、気を失ったようだ。
青年の、あの目が見られないのは残念だったが、助けるのにも、自分の姿を見られない為にも、失神してくれているのは好都合だった。
青年を両手で抱きかかえるようにしながら、尾びれを懸命に動かす。
――もうすぐ、岸だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」
青年を岸にあげたあとも、人魚姫の息はなかなか整わなかった。
苦しい息の下で青年の顔をうかがう。
血の気の無い顔。
心臓がビクリと脅える。
揺さぶって、名を呼ぼうとして、その名を知らない事に気付いた。
「ねぇっ、気付いて!!ねぇっ!!!」
「ごほっ!!」
青年が水を吐き出した。
そうして、はぁと小さな息をついた。
人魚姫はホッとして青年の髪にふれた。
髪の奥に隠された目は、まだ閉じられたままだった。
惹きつけられるように見つめる。
すると、ふるっと瞼が震えた。
――あ、目が開く。
その時、
「王子〜、シェイド王子〜!!」
人の声が近づいてきた。
慌てて岩陰に身を隠す。
こっそりと覗くと、何人かの人々が必死な顔で、辺りを探し回っていた。
その内の1人が岸にいる青年を見つける。
「シェイド王子!!」
人々が走りよる。
抱き起こされた青年は弱弱しくも微笑んでいた。
『シェイド』
それが、彼の名前。
人魚姫の胸は、初めて感じる痛みに震えた。
――その出来事から、ちょうど1ヶ月後。
シェイド王子の城で、1人の少女が働き始める。
それは、魔法の薬によって人間に姿を変えた人魚姫だった。
「あの青い髪の娘、見たこと無いな。
何という名だ?」
シェイドがメイド頭に聞く。
「分からないんですよ、口が利けないようで。
どうも、行き倒れみたいなんですけど。
でも、気立てはいいし、見たところ変な子でもなさそうなので働いてもらってます」
「・・・そうか」
「雨の日に、ずぶ濡れでいたので、私たちは『レイン』と呼んでいます」
シェイドはレインを目で追う。
青い髪を揺らせて、明るく笑うその姿に、思わずこちらまで自然と微笑む。
「・・・レイン、か」
vol.2