石造りの階段を登りきると、そこには美しい庭園が広がっていた。

正直、意外だった。

てっきり、草ばかり生い茂った荒れ果てた庭があるものだと思っていた。

まあ、もちろん手入れする人間は誰もいないわけだから、木が美しく刈り込んであるとか、色の違う花が模様のように植えてあるとか、そんなことはない。

ただ花や木が、驚く程に瑞々しく、太陽の下でその姿を誇っているのだ。

「こんな素敵なお庭があるなんて・・・」

「…あぁ」

オレたちは周りに広がる景色を息を呑んで見つめた。

 

頭上からは鳥の声。

そして木の葉の間に映り、零れ落ちる日の光。

その光の間に、オレたちをここまで導いてきたソライロカズラが咲いている。

涼やかな風が青の花びらを散らす。

その動きに視線を上から下へと移せば、足元には野苺の白い花。

ふいに腕の中のレインが身じろいだ。

あぁ、おろしてほしいって事か。

とはいえ足を挫いているレインをどこにおろしたものかな…。

適当な場所を探して頭をめぐらす。

すると一際大きな木のそばに小さな泉があり、その脇にこれまた小さな石造りのベンチがあった。

 

「ご、ごめんね。

…重かった、でしょ?」

ベンチにおろされると同時に、レインが恥ずかしそうに、そう詫びた。

…重い?

年端のいかない女の子だ。

正直、そう重くなどない。

「いや、そんなこと…」

そこまで言いかけて、急にレインをからかいたくなった。

 

「そうだな、意外と重かった、かな?」

「・・・なっ!」

レインが顔を真っ赤にする。

おっと、そこまで怒るとは思わなかった。

「冗談だよ、そんな事思ってない」

笑ってレインの頭をポンポンと叩いてやる。

「もう・・・っ、

・・・そんなとこまで似てないでいいのに」

「そんな膨れっ面するなよ。

・・・って、似てるって・・・、シェイドも同じ事言ったのか?」

「・・・・・・」

・・・言ったのか。

じゃぁ、さっきのは失言だったな。

――シェイドの事、思い出させた。

 

「すまない。さっきのは本当に冗談だから…」

「あ、うぅん。私こそ、あんなに怒ったりして…。あの、ごめんね?」

「いや、オレが…」

「うぅん、私が…!」

「……。」

「ぷっ、アハハハ!!」

 

オレたちは同時に吹き出した。

「おっかしい!お互いに謝りあってる…。」

レインが本当におかしそうに笑う。

オレは小さく苦笑してから、さっきと同じようにレインの頭をポンポンと2度軽く叩いた。

「足、も少しちゃんと応急処置しような?」

「うん」

そっと足に巻いてあったハンカチを取って、患部に触れてみる。

「そんなにはひどくないが、やっぱりチョット熱を持ってるな

泉の水で足を冷やそう。

レイン、ちょっとベンチから下ろすぞ」

もう1度、レインを抱き抱えると泉の淵に腰を下ろさせる。

さて、足を冷やさなきゃな…

泉につける為にレインの足をとろうとする。

「きゃっ…」

 

オレの指が、ふくらはぎの辺りにふれた途端に、レインが声をあげた。

「え…」

「あ、ごめんなさい…。だって…」

さっき患部にふれた時は、平気そうにしてたくせに、何でいきなり…

見つめたレインの顔は真っ赤に染まっている。

自分が声を上げた事を恥じている、といったふうだ。

なんだかこちらまで照れ臭くなってくる。

「あ、あの、自分でやるからっ」

「あ、あぁ…」

 

オレはあわててレインから離れる。

体の半分、レインにむいている側だけが、緊張している。

視線を不自然にそらす。

パシャン。

小さな水音。

おずおずとレインが泉に足をつける。

レインの横で、オレは先ほど外したハンカチを泉で濡らした。

あとで改めて、患部に巻いてやろう。

 

「・・・ねぇ、やっぱり私、あなたの本当の名前呼びたいわ」

ふいにレインが言う。

今日、この言葉を聞くのは2度目だった。

どうして、そんな事にこだわるんだ?

どうでもいいじゃないか、オレの名前なんか・・・。

「・・・足、出して。

恥ずかしくっても固定しないとしょうがない。」

レインは、何か言いたげに唇をわずかに動かしたが、オレはそれに気づかないふりをした。

素直に出された足首に、ハンカチを強めに巻きつける。

やはり今度も、足に触れた瞬間、わずかに身じろぎしたが、それにも気づかないふりをした。

 

・・・再び訪れる沈黙。

「さて、そろそろソライロカズラを取りに行って来ようかな・・・」

沈黙に耐え切れずに立ち上がる。

自分で考えても、なんともわざとらしいセリフ回しだ。

レインは、少し視線を上げてオレを見た。

先ほどの問いに、まだ答えていない事を非難するかのように。

だが、それでも、すまない・・・、まだ答えを出せない。

レインに名前を呼ばれることで、自分の想いを抑えきれなくなるだろうという予感。

だが、理由はそれ以外にもある、という気がしていた。

それを上手く言葉では言い表せなくて、自分でもはっきりとは分からなくて。

だから、レイン、今だけは、君に背を向けさせてくれ。

無言のまま歩き出したオレに、レインは俯いて泉の水面に目を移した。

オレはソライロカズラの咲く木へと向かいながら、奥歯をかみ締めた。

心地よかったはずの涼しげな風が、今は不愉快に前髪を揺らす。

腹立たしいのは、誰にでもない。

踏み出せない、自分にだ。

 

木の幹に手をつく。

ソライロカズラの蔓が巻きつき、その青い花が葡萄の房のように垂れ下がっている。

意外と高いところにしか咲いてないんだな。

取るのもチョット骨が折れそうだ・・・。

青い花びらがはらはらと地面や、周りの草木や、石碑の上に落ちる。

ん?石碑?

木の脇に、ひっそりと隠れるように黒い石碑があった。

その何の飾りも無い真四角の石碑に、何故か胸がうるさく鳴った。

石碑の上に降り積もった花びらを、片手で払う。

その下に、彫りこまれた詩のようなものが現れた。

かなり古いらしく、彫られた角が丸くなっている。

 

読んだ直後に、後悔した。

それは、ある男の残した詩、いや追悼文だった。

 

『君の墓前で

僕は泣くことすら許されない

だから

この庭園を君との想いでだけを詰めて閉ざそう

 

手を触れることすら許されなかった君

いや

許されなくても

君を抱きしめれば良かった

たとえ何があろうとも

 

僕は弱かった

歴史や伝統や決まりごと

それらを裏切ることが出来なかった

 

もう悔やんでも君は戻ってこないから

せめて

君のいる空の

その色の花で

閉ざされ行く庭園を飾ろう

 

愛しい人へ

・・・・・・』

最後は、おそらく名前が書いてあったのだろうが、かすれていて読めない。

文脈からたどるに、かなり高貴な人物なのだろうか。

まぁ、王族ばかり集まる学園の森なんだから、かつての学生、つまりはどこかの王族の残したものと捉えるのが自然だろう。

身分違いだったのか、敵国だったのか、とにかく許されざる恋をして、その想いを明かさないまま、相手が死んでしまったようだ。

あぁ、ここまで冷静に分析しながらも、いや、冷静に分析できてしまったからこそ、

苛立つ。

 

何なんだ、これは。

オレは、この石碑の主に呼ばれでもしたのか?

オレのこの想いに、決着をつけろと、そう言うのか?

身分なんか気にするなって?

駄目で元々、告白してみろって?

あんただって、出来なかったくせに。

 

歴史や、伝統や決まり事。

傍から見たら、そんなのにこだわらなくてもいいように見えるだろう。

だが、オレは知ってる。

月の国で双子の王子として生まれたオレは、不吉だからと存在を隠され、平民となった。

生まれた、その瞬間から歴史や伝統や決まり事、そんなのに絡め取られていたんだ。

そして、そばで見て知っている。

その世界で生きる者の苦しさも。

 

オレの育てられた家庭は、ごくごく普通の家で、オレが王子として生まれたことも全く関係なく接してくれた。

本当に、歴史や伝統や決まり事、そんなのとは縁がなかったんだ。

だが、時たま会うシェイドは、「そんなの」だらけの世界にいた。

思い出すのは、今よりも小さなシェイドの背中。

王家に関わる人々との軋轢の中で、懸命に涙を押し殺していた。

オレと同じ日に、同じ母から生まれたシェイド。

どんなに大人びていても、オレと同じ、子供なのに。

 

レインだってファインだって、みんなそうだ。

王族ばかり集まるこの学園で、オレは何度、自分と彼らとの違いを思い知らされただろう。

身分が違うということよりも、伝統を背負うことを、定められた者の、強さを。

 

下唇を噛みしめる。

はらはら舞い落ちる青い花。

その色に想いをこめて、かつてここに立っただだろう、男のことを思う。

ソライロカズラを取るのは、もうとっくに諦めていた。

――レインを好きなこと。

この想いは、きっとこれからも変わらない。

だが、その想いをどうするかは、まだ、オレには分からない。

大きな風が地上の花びらを舞い上げる。

オレは、しばらく目を閉じてそこに佇んでいた。

 

 

もといた場所に戻ると、同じ場所のまま、レインが相変わらず泉を見つめていた。

「レイン」

「あっ、ソライロカズラ、取れた?」

「あ、あぁ・・・」

とっさに嘘をつく。

本当のことを言ったら、取れなかった理由を、この庭園が閉ざされた理由を説明しなければいけない。

「そう、良かったv」

レインはオレの嘘を素直に受け止める。

「ねぇ、いつかまた2人でここに来ましょうね?」

再びオレはレインの問いに戸惑う。

この庭園は閉ざしておいた方がいいような気がする。

だが・・・。

『いつかまた2人で』

その言葉に、最後の希望をかけてみたくなった。

 

「あぁ、きっと、また来よう」

ようやく、オレは真っ直ぐにレインを見る。

「じゃぁ、約束ね」

レインが小指を出す。

小指と小指を絡ませながらオレは、またレインと一緒に、この庭園に来ることを素直に願った。

そして、その時には迷いなく、

・・・君に本当の名を呼ばれていたいと。

 

 

 




2人のシェイド続編:閉ざされた庭園V