square garden:5章 『聖夜への序章』
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暖房でぼやけた病室の空気に耐え切れなくて、ベッドの脇においてある松葉杖を手にする。
ガラス窓を細く開けると途端に、冬の冷たい風が吹き込む。
シーツも壁紙もカーテンも、床のリノリウムまでもが白っぽい色で統一された部屋が瞬間的に明確な輪郭を描き始める。
引き締まった空気にさらされて、自分の頬も急にキュッと細くなったような気がする。
見下ろせば、すっかり葉を落とした木立に穏やかな陽が射している。
カーテンをなびかせる風が息を白く染めるのを見てから、私はゆっくり窓を閉じた。
私がこの病院に入院して、2ヶ月の月日が経過した。
入院してきた日、動かないことに愕然とした足も何とか治りつつある。
私と一緒に事故にあった妹のファインは、多少症状が軽かったおかげで一足先に退院して走り回っているようだ。
良かった、と心から思う。
もちろん一緒にいる時間が少ないのは寂しくて仕方がないけど。
それでも事故が起こった直後、ファインにもしもの事があったらと不安に揺れた時のことを思えば、そんな事、なんてことない。
『コンコココンッ!』
弾むようなノックの音が響いた。
思わずクスッと笑ってしまう。
ホントに、なんていいタイミング。
ここに入院している間に、ノックの音だけでも誰が来たか分かるようになってしまった。
この天使がステップしてるみたいな楽しげな音は――、
「ファイン?どうぞ」
声に反応して勢いよく開いたドアの向こうには、予想通り、赤い髪を揺らした妹のファインが笑っていた。
「具合どう?レイン」
その笑顔に、こちらまで嬉しくなる。
「だいぶ良いわ。ありがとう、ファイン。
ほら、見ての通り、一人でだって歩けるのよ?
もちろん松葉杖に助けてもらって、だけどね☆」
「そっかぁ。
あ、でも無理しちゃ駄目だよ?」
いいながら、いそいそとケーキの箱を開け始める。
ファインのお見舞いには、いつだってお菓子がつきものだ。
ただ、そのほとんどは、持ってきた当人であるファインの胃の中に納められてしまうのだけど。
一緒にケーキを食べながら、ふと思い出した。
「そういえば私、ファインに聞きたいことがあったんだわ」
「ふぇ?」
顔を上げたファインの口の周りにはクリームがいっぱい付いている。
プッと思わず吹き出してしまう。
「も〜う、ファインったら。
クリームいっぱい付いてるわよ?」
私が、そばにあった紙ナプキンで口の周りを拭おうとするより早く、ファインはベロンッと舌を一周して舐め取ってしまった。
・・・ホントに、もうファインったら。
クスクス笑いながら、天真爛漫な妹の顔を見つめる。
「それで、聞きたい事って何なの、レイン?」
新しいケーキの周りのセロファンをはがしながら、ファインが聞く。
「え?あぁ、そうそう、いけない、また聞き忘れるとこだった」
私はカップの中の紅茶が優しく波打つのを見つめながら切り出した。
「ファイン、あの日何を言おうとしたの?」
「え?あの日って?」
「あの日・・・、飛行船が墜落して私たちが怪我した日。
あの時、ファイン何か言いかけていたでしょ?
結局、色々あって聞けずじまいだったけど。
・・・何を、言おうとしてたの?」
そこまで言ってから顔を上げて面食らった。
ファインの顔が真っ赤になっていたからだ。
紅潮した頬は、彼女の髪の色と区別が出来ないほどだ。
「ファ、ファイン?」
「え、あ、あの、それは・・・」
わたわたと口ごもると、手の中のフォークを右手へ左手へとうろうろさせている。
私は、思わずファインの顔を食い入るように見つめてしまう。
・・・一体、何の話をする気なんだろう?
期待と不安がゴチャ混ぜになってドキドキしながら固唾を飲む。
その時――、
『コンコンッ』
今日2度目のノックの音が響いた。
しっかりとして明るい感じの音。
この音はきっと・・・、
「きっとブライト様だわ」
「ぶ、ぶらいと!?」
私の言葉にファインは小声で叫んだ。
「えぇ・・・、悪いけどファイン、出迎えして差し上げて?」
「わ、私が!?」
「え、えぇ・・・。だって私の足、まだこんなでしょ?」
「それは、そうなんだけどぉ・・・」
「? イヤなら無理にとは言わないけど・・・」
「べ、別にイヤじゃないよ!!」
「そ、そう・・・?」
「お、お出迎えね、わ、分かった、行ってくる!」
ノックがちょうど話を切り出そうとした瞬間だったからか、ファインは必要以上に取り乱している。
・・・あらら、手と足が一緒。
天真爛漫で、物事を真っ直ぐに見つめる妹は、とっても古典的な緊張の仕方をしていた。
ホントにギクシャク音がしそう・・・。
そんな事を考えながら、ふと気づいた。
あら?でも何でブライト様に対して緊張する必要があるのかしら?
カチャリ。
音をたてて開いたドアの向こうには、花を抱いたブライト様が立っていた。
「やあ、ファイン。君も来てたんだね」
ファインの姿を見て、ブライト様は爽やかな笑みを浮かべた。
「え、あ、う、うん。
ほ、ほんとに、ぐ、ぐうぜん、だ、ね」
…ファイン、ギクシャクに拍車がかかってる。
私は頭を抱える。
「どうしたんだい、ファイン?何だか、君らしくないよ?」
さすがにおかしいと思ったのだろう、ブライト様が尋ねる。
「あ、わ、私、用事があったの忘れてた!
き、今日はもう帰るね!」
て、質問に答えなさい、質問に!
そんな私の心の叫びを完全にスルーして、ファインはすでに廊下に出てしまっている。
「あ、レイン。新しいケーキ、まだセロファン取っただけで手つけてないから良かったら食べてー!」
「え、ちょっと、ファイン!」
一陣の風のようにファインが走り去った後には、私とブライト様と、ケーキだけが残された。
ブライト様と私はあっけにとられたように、ファインの後姿を見つめている。
「あ。」
「どうしたんだい、レイン?」
・・・また、話聞きそびれちゃった。
ブライト様が、持って来たお花を生けてくれる。
私がここに入院してから、ブライト様は毎日のようにお見舞いに来てくれる。
お付き合いをしてるわけだから当然なのかもしれない。
それでも、ブライト様は優しいと思う。
なのに私からは付き合い始めた頃の不安が、まだ消えない。
いつか、この関係が終わるんじゃないか。
そんな予感がいつも、ある。
それはたぶん、時々どこか違うところを見るブライト様の目のせい。
あ、ほら、また・・・。
ブライト様が窓の外を見つめている。
何かを求めているような、その表情が、私を不安にさせる。
そして、その表情の理由を、真っ直ぐに聞けない自分にも腹が立つ。
どうして、聞けないんだろう・・・。
『その視線の先には何があるんですか?』
――結局、肝心なことは聞けないまま、ブライト様は帰っていった。
「はぁ・・・」
いつも、こう。
ブライト様といるときは思ってる事も言えなくて、変な事ばかり気にして。
『コッコッ』
本日3度目のノック。
いつも通りの簡素な音。
何故か、クスッと笑ってしまった。
「シェイドでしょ?どうぞ」
「・・・そろそろノックの仕方、変えてやろうかな」
意地悪っぽく笑いながらドアを開けたシェイドは、そう言った。
「クスクス。そんな事しても、すぐに見破って見せるんだから」
「へ〜え、じゃぁ、試してみるか?」
「望むところですよーだ」
「ハハハッ、楽しみだ」
私がアカンベをして言うと、シェイドは彼にしては珍しく大きな声で笑った。
パタンと、ベッド脇のテーブルに書類を挟んだクリップボードを置くと、その側にある椅子に腰掛けた。
「さてと、じゃぁ、ちょっと診るからな」
シェイドはテキパキと回診をすませていく。
こういうところを見てると、本当にお医者様になるんだなぁ、と変な感心をしてしまう。
「ねぇ、足、どう?」
「まぁ順調みたいだな。
さすがに今年中とかはムリだと思うが・・・。
1月中には何とかなりそうだな」
「本当?良かった〜」
「ほら、はしゃいで動き回ると、治るのが遅くなるぞ?」
「は〜い」
私の頭をポンポンとして、シェイドは立ち上がる。
「あ、そうだ。
シェイドは今度のクリスマスパーティー出るの?」
今度の日曜に、病院主催のクリスマスパーティーがあるのだ。
もちろん、そんなに規模の大きなものではないが、一応ピアニストも来て演奏等もあるらしい。
「あぁ、出るよ。
何だか知らないが絶対に出ろって、みんなに念押しされててね・・・」
シェイドは自分では気付いていないようだが、彼は結構モテる。
きっと、彼が出席すれば女性の参加者が増えるという主催者側の考えなのだろう。
不思議そうに首をひねるシェイドを見て、私は思わず吹き出しそうになった。
「で?お前は出るのか?」
「ええ、私もファインも、あとブライト様も出るわよ?」
「・・・ブライトも?」
瞬間、シェイドの顔がくもった。
「え、ええ・・・」
「あぁ、でもファインも出るのか・・・」
「え、ええ・・・」
シェイドは顎に手をあてて、しばらく考え込んでいた。
・・・なんかあったのかしら?
「ねぇ、シェイド。何かあったの?」
「え?」
「だって、そんなに深刻な顔して・・・
ブライト様とケンカでもした?」
シェイドは顎から手を離すと、ニッコリと笑って見せた。
「いや、何でもない。
ただ、パーティーって事は、お前らのダメダメプリンセスぶりが久しぶりに発揮されるのかと思ってな」
「な・・・っ!」
「そうなったら、オレもブライトも止めようがないからな〜」
「人がせっかく心配してるっていうのに〜!!
もう、シェイドの馬鹿〜!!」
私がどなってるって言うのに、シェイドは楽しそうに笑っている。
「ほら、あんまり暴れるとケガに障るぞ?」
「誰が暴れさせてるのよ〜!!」
「ハハッ、殴られないうちに退散するか」
笑いながら部屋から出かけたシェイドが、ふいに立ち止まる。
「――レイン。」
「なぁに?」
「オレ、もしかしたら、お前の事悲しませるかもしれない。
でも、おれはいつでも・・・、
いつでも・・・、お前の味方だからな。
それだけは信じててくれ」
「・・・う、うん」
その時はシェイドの真剣な表情に思わず頷いてしまったけれど、私はまだ何も分かっていなかった。
そう、あのクリスマスパーティーまでは・・・。