その日は、城中が大騒ぎだった。
無理もない、この城のたった一人のお姫様の十五歳の誕生日なのだ。
城の裏庭であるここまで、人々の声が聞こえてくる。
「まったく、騒がしくっておちおち剣の練習も出来やしないぜ」
オレが不満げに呟くと、隣に座る少女が反論してきた。
「何よ、シェイド〜!
みんながせっかく誕生日を祝ってくれるのに、その態度!」
「そうは言うけどな、厨房の前なんか通ってみろよ、隣にいるやつの声も聞き取れないぜ?」
「そ、それだけ一所懸命祝ってくれるのよ!」
「・・・で?そのみんなに一所懸命祝ってもらう当のご本人がいつまでもこんなとこにいていいのか?」
そう、この少女こそが、この騒ぎの主役。
この城のお姫様、レインだ。
「だって〜、みんな『レイン様は今日の主役なんですから』とか言って手伝いもさせてくれないんですもの。
パーティーまで何もやること無いのよ?」
「で、同じくヒマそうにしてたオレのとこに来たってわけか」
オレ達は近衛兵と王女様という身分の違いはあるが、母がレインの乳母だったおかげで、小さい時からずっと一緒に過ごしてきた。
いわゆる、幼なじみ、というやつだ。
いつもケンカばかりして、すぐに言い合いになるけれど、それでも、こうして二人だけでいるのが、オレ達にとっては一番自然なことだった。
二人の関係を下手に勘ぐるヤツもいたが、オレ達は決して『幼なじみ』という線引きの外へと踏み出そうとはしなかった。
レインに恋愛感情を抱いた事がないのか、と問われれば、正直「無いわけがない」。
一見たおやかで儚げで、それでいて気が強くて優しくて、誰よりも可憐で、そんなレインの側にいて、惹かれないでいられるはずがない。
本当の事を言えば、何度レインを抱きしめたい衝動にかられたか数え切れないくらいだ。
だけど、それは絶対にしてはいけないことだ。
オレ達の、今の関係を崩すようなことは、決してしたくない。
オレがそんなことを考えていると、ふいにレインが立ち上がった。
「ねぇ、シェイド、何か感想は無いの?」
「何について?」
オレがとぼけてみせると、レインはプゥッと頬を膨らませた。
その怒った顔は昔と変わらず、幼い。
「もう〜っ!シェイドのバカ〜!
このドレスよ、ド・レ・ス〜っ!!!」
レインはそう言ってドレスの裾をつまむ。
彼女の一番好きな鮮やかな青のドレス。
この日のために誂えたのだろう、シンプルだが非常に美しいデザインだ。
・・・バカはどっちだよ、気づかないはずないだろうが。
いつもよりキレイなオマエを直視しないようにさりげなく必死なんだよ、オレも。
オレは苦笑しながら、レインの膨らんだ頬を人差し指でつつく。
「ほら、すぐそんな顔をするんだからな。
今日からもうレディなんだろ?
遠くから来たお客さんたちに笑われるぜ?」
この国では十五歳になると大人のレディとして認められて、社交界にデビューできるのだ。
(だからこそ、今日の誕生日はパーティーの準備でいつもよりも大騒ぎしているのだ)
「〜〜〜っ!
わ、分かってるわよ!
もう、シェイドのバカ!」
「ほら、またバカって言った」
オレは性懲りも無く、更にレインをからかってみせる。
「も、もうっ、シェイドなんて知らない!」
とうとうレインはオレに背をむけてしまった。
あぁ、また怒らせちまった。
いい加減にしなきゃと思うんだけど、このレインの反応が可愛くて思わずいじめてしまう。
オレは、そんな自分に対して一つ溜め息をつく。
ふと横に目をやると、淡いピンク色の野イバラが咲いていた。
そういえば、レインが昔この花について何か言ってたな。
そう、確か・・・。
『イバラって、すっごい必死で可愛いと思わない?』
『必死?イバラが?』
『そうよ、こんなに可愛い花なのに、負けるもんかって一生懸命トゲを出して自分を強く見せようとしてるの。
すごく必死で、可愛いと思うわ』
オレは、そんなレインの言葉を思い出して、こっそりと笑った。
・・・まったく、オレもオマエも、このイバラみたいだな。
いくら強がっても、トゲばかり出してたら誰も触れてくれないぞ。
オレはイバラの花を一つ手折ると、丁寧に、そのトゲを取った。
手のひらの野イバラは、より一層、瑞々しく愛らしく見えた。
レインは、まだ後姿のまま、ふてくされている。
「レイン、ごめん」
背中に、謝る。
「冗談だよ、気づいてなかった訳じゃない」
肩ごしに、まだわずかにふてくされたレインの顔が、こちらを振り返る。
「・・・けっこう頑張ったんだよ?髪も・・・、メイクも」
「ああ」
「いつもより・・・、ちょっとはキレイ?」
「ああ、まともに見るのが照れるくらいにな」
とたんにレインの頬が熱を帯びる。
その熱をごまかすように、レインはオレの手元に目をやる。
「あら?その花・・・」
「ああ、昔、レインが好きだって言ってたの思い出してさ」
「・・・そんな、昔のこと覚えてたの?」
「ああ、レインとの思い出は、忘れないな」
するりと口から滑り落ちた言葉に、自分で驚いた。
おいおい、結構すごいセリフを言っちゃたんじゃないか、オレ?
レインは、そっとオレの手からイバラの花を取った。
そして、ドレスの胸元に花を飾ると、極上に柔らかな笑みを浮かべた。
「・・・もっと、好きになりそう」
もっと、「何を」好きになりそうなのか、確かめたいような、確かめたくないような、複雑な気持ちで、オレは青の中のピンクの花を見つめた。
それから、ふいにある事に気づいた。
「あ、今日は色々な国からお客さんが来るんだったな。
野イバラなんて、パーティーの雰囲気に合わないか。
悪い、すぐに取って・・・」
そう言ってオレが、野イバラの花に手をやろうとすると、レインはスッと身をひるがえした。
「・・・レイン?」
「いいの、取らないで」
「え?」
「・・・このまま、挿していたいの」
胸がドキンと高鳴る。
まるで、胸の野イバラが、オレたちを繋ぐ堅い絆のように思えた。
その時、
「あらぁ?」
レインが高い声を上げた。
「ん?どうした?」
「ねぇ、シェイド。あそこに、あんな塔あったかしら?」
レインが突然、オレの背後の方を指差した。
「え?」
指差す方を振り返ると、城の裏庭に面した森の中に一つの塔がたっていた。
「・・・あんなの無かったはずだけど」
この裏庭も、あの森も、オレ達が小さい頃からの遊び場所だ。
あんな塔は今までに見たこともない。
なのに、何故だ?
「・・・あの塔、ずっと昔からあそこにあるみたいに、古びてる」
石造りの塔にはツタが何重にも生い茂り、苔むしている。
「一体、何なのかしら・・・、あれ」
レインが不安そうな顔で塔を見つめる。
「・・・・・・で、レイン?」
「なぁに、シェイド?」
「何でこうなってるんだ?」
「ん?何が?」
「だから・・・・・・、
どうして怪しげな塔にわざわざ潜入してるんだよ!」
オレは半分あきらめながら怒鳴る。
分かってるんだ、レインがこの手の怪しげなところを見ると、『探検』したくてしょうがなくなるって事ぐらい。
だが、とりあえず少しの反論くらいはしておかないとな。
・・・そうしないと、オレの立場がどんどん弱くなっていく。
いや、こんなことを気にしてる段階でかなり立場が弱い気もするが・・・。
案の定、レインはオレの反論をサラリと笑顔で受け流す。
「だってシェイドも気になるでしょ?この塔の上に何があるのか」
「・・・何か変なものがあるかもしれないとか考えないのか?」
「大丈夫、大丈夫っ!」
何の根拠があって言ってるんだ、レイン・・・。
「だって・・・、」
ん?
「シェイドが一緒にいてくれるもの」
「・・・・・・・・・」
やっぱり、オレはレインにはかなわない。
笑顔でそう言われた瞬間に、口まで出掛かっていた反論の言葉がどっかに消えていってしまった。
「・・・?どうしたの、シェイド?
黙り込んじゃって・・・」
「な、何でもないっ!!さっさと上に行くぞ!
何があるか見ないと帰れないんだろ?」
不思議そうな目をするレインに、照れ隠しにぶっきらぼうにそう言い返す。
だがレインは、そんなオレの心を見透かしているのか弾けるような笑顔で「うんっ!」と頷いた。
古い石造りの塔は、かなり高く、螺旋階段だけが続いている。
見張り塔か何かの類だったのか、その間にも、何も部屋はなく、時々、石の隙間とも言えるような細い窓があるだけだった。
「・・・何もないな」
「そうね・・・」
一体どれだけ上ったのだろう、ふいに階段の先にドアが現れた。
それは塔と同じくらい古びた木でつくられた安っぽいドアだった。
どうせ見張り台があって終わりだろう。
オレは、さして何も考えずにそのドアの取っ手を引いた。
――果たして、オレの予想は見事に裏切られた。
ドアを開けた瞬間、大きな糸車がフル回転しており次々と糸が紡がれている光景が広がっていた。
さながら、糸を大量生産する工場の趣だ。
不思議なのは、その巨大な糸車を動かしているのが、ひ弱そうな老婆一人だけだという事だった。
・・・一体、何なんだ、ここは?
あっけにとられているオレの横をレインがスッとすり抜けて、老婆の元へ駆け寄る。
「おばあさん、大丈夫?ここには、おばあさん以外にはいないの?」
「へぇ、ここには、このババ一人ですじゃ」
「一体、何だってこんなに大量の糸を?」
「ある方の御命令でしてな、明日までに、この百倍の糸を紡がなければならんのですじゃ」
「えぇーっ、ひゃくばい!?」
オレが二の句をつげないでいると、レインが美しいドレスの袖をギュッとまくった。
「何だかよくわからないけど、とりあえず手伝うわ、おばあさん!」
「本当に優しい娘さんだねぇ。
じゃぁ悪いけど、そこの紡錘(つむ)から糸を巻き取ってくれないかね?」
「これね?」
レインは糸車の、先の尖った紡績(つむ)から、さっそく糸を巻き取ろうとする。
全く、困った人を見ると放っておけないんだからな、レインは。
せっかくのドレスが汚れてしまうのも気にしていないようだ。
オレは相変わらずお節介焼きのレインに苦笑しながら、今が何時くらいなのか確かめようと、窓から身を乗り出した。
すると、オレの背後から小さな叫び声が聞こえた。
――レインの声だ。
オレが慌てて振り返ると、レインはすでに板張りの床に倒れこんでいた。
「レイン!!!」
オレは急いで駆け寄り、レインを抱き起こす。
真っ青な顔、固く閉じられた瞳。
嫌な予感が背筋を上がっていく。
すると、すぐそばで割れ鐘のような、しゃがれた笑い声が響いた。
見上げると、先ほどの老婆が、さも愉快そうに笑っていた。
「・・・何を、笑ってる」
オレは、つまりそうな息の奥から言葉を搾り出す。
「いやいや、本当に優しい娘さんで助かったよ。
これで、ここの国王たちに、プリンセス・レインの命と引き換えに取引を持ちかけられる」
人を不愉快にさせる、しゃがれた声で老婆は上機嫌だ。
「っこの!ふざけるな!!!!」
オレは、腰に差していた長剣を抜くと老婆に切りかかった。
すると、目の前で老婆の姿が掻き消えた。
「!!!」
周りを見渡すがどこにもいない。
「くっ!!どこに消えた!?」
その時、どこからともなく、老婆の声が響いてきた。
「小僧!国王に伝えるんだね!!
あの魔法書を渡せと!!
そうすれば、大切な大切なお姫様は助けてやると!!」
・・・続きます。