something blue外伝
『whiteness ――シェイドとレインの夜。』
真っ白な夜。
窓から見る外の風景は、建物も木も何もかもが薄明かりに覆われている。
『白夜』っていう言葉も、上手く言い表したもんだな、と思った。
月の国では、年に数日だけ『白夜』と呼ばれる、太陽が1日中沈まない期間がある。
気候や気象現象が、完全に人工的にコントロールされている、ふしぎ星では、とても珍しい現象だ。
確か、おひさまの国の角度と、ふしぎ星の内部のカーブの問題だとか聞いた気がするな。
たぶん、今なら昔より技術も向上してるんだし、太陽があたらないように(つまり夜に)する事だって出来るはずだ。
それでも未だに白夜が無くならないのは、たぶん伝統的な風物を無くさないようにという配慮なんだろう。
遠くからリーンという澄んだ鐘の音が聞こえる。
あぁ、もう祭りが始まっているんだ。
そう思って目を凝らすと、確かに人々の影が小さく見えた。
白夜の間だけ行われる祭り。
数人の神官が、杖のような棒の先に小さな鐘をつけて、それを鳴らしながら通りを歩く、厳かな祭りだ。
他の祭りのように華やかなところは無いが、あの鐘の音を聞いていると、心が安らぐ。
オレは、少しの間、目を閉じて鐘の音に耳を澄ました。
こんなに安らかな気分でいられるのも久しぶりだった。
結婚式までの慌しい日々を、ようやく終えたと思ったら、妻になったばかりのレインは魔物に攫われてしまった。
ようやく彼女を助け出し、この城に連れて帰ってくるまでに、一体どれ程の時間がかかったろう。
コツン、と窓ガラスに額を当ててみる。
ガラスの冷たさが心地いい。
・・・ようやく、夫婦として一緒にいられる。
当たり前のはずのことが、ひどく嬉しい。
今夜は、2人が初めて共に過ごす夜だった。
・・・・・・そういえば、レインのやつ随分と遅いな。
ふと部屋の奥にあるバス・ルームへと目をやった。
(ちなみに私室に備え付けのバス・ルームまでは脱衣室だの、何だのがあって、直接見えるわけではない。
とりあえず『バス・ルームの方向に』目をやったのだ。)
オレは2時間ほど前に、この城に帰ってきた時のことを思い浮かべた。
囚われていた魔物のもとから帰ってきたレインは、まず、あそこに向かった。
戦いの際の血や埃を洗い落とす為、というのももちろんだったが、それよりも闇に囚われていた事を、洗い流したいように見えた。
「・・・・・・・・・」
何となく、不安だな。
さっきから途切れなく聞こえてくる微かなシャワーの音。
本当に途切れなく。
さっきも言ったとおり、オレ達がここに帰ってきたのが2時間ほど前。
レインがバス・ルームに入るまでに、召使たちが来たりとか色々あったが、せいぜい数十分。
そこから考えると、あのシャワーの音は、おそらく軽く1時間以上は鳴りっぱなしだ。
まさか、中で倒れたりしてないだろうな。
・・・ちょっと声だけでもかけておくか。
バス・ルームに近づくと、ドア越しだというのに少し緊張して体温が上がる。
まぁ、ようするに照れる。
ウン、と小さく咳払いして呼吸を整える。
声をかける時に、裏返ったりしたら格好がつかないしな。
「・・・レイン?まだ上がんないのか?」
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
返事が無い。
・・・・・・・・・・・・まさか、本当に倒れてるんじゃないだろうな?
もう1回、大きな声で呼んでみよう。
「おい、レイン!?大丈夫か!!?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
やはり、答えはない。
いきなりバス・ルームに飛び込んでいくのは、やはり戸惑う。
とりあえず、中の様子を探ろうと、曇りガラスのドアに耳をつける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヒック。
ん?
何か聞こえた。
・・・・・・・・・・・・・・・・う、うぅ、ヒック。
嗚咽?
シャワーの音に混じって聞こえてきたのは、レインの泣き声のようだった。
「おい!!レインっ!!どうしたんだ!!?」
「・・・・・・・・・・・・う、シェイド・・・」
「レイン、何があったか言ってみろ!」
「・・・・・うぅ・・・」
何を聞いても、レインは泣くばかり、こちらの問いには答えようとはしてくれない。
・・・・・・くそ、しょうがないな。
「おい、レイン!!入るぞ!」
こういう風にバス・ルームに入るのは本意じゃないんだが、仕方ない。
オレは服を着たまま、バス・ルームのドアを開けた。
入ると、ムッと蒸気が立ち込めている。
シャツが水分に纏わりつかれて、何となく重くなったような気がする。
白い大理石のバス・ルームは、立ち込める蒸気と、窓から射す白夜の薄日で一層に真っ白になっている。
その光景に、子供の時に見た絵本の『妖精の国』を思い出す。
おっと、こんなところでムダな感傷に浸ってる場合じゃないんだ。
レインは、どこだ?
正面の無人の湯船から、少し目線を横に巡らす。
・・・・・・いた。
広めに作られたバス・ルームの隅で、出しっぱなしのシャワーに打たれたまま、膝を抱えて、うずくまっている。
膝を抱えた腕と、彼女の豊かな長い髪のせいで、顔は見えないが、やはり泣いているようだ。
涙をしゃくりあげるたびに、裸の背中が小さく上下している。
レインが泣いているというのに、オレは一瞬、その姿に見とれてしまった。
真っ白なバス・ルームに溶け込むような白い肌。
濡れた青い髪が、その空間の唯一の色だった。
何となく、声がかけづらい。
オレはそっと唇を舐めると、小さく心の中で気合をいれた。
(たかが声をかけるのに気合が必要なのか、と思うかもしれないが、その時は必要だったのだ)
「・・・・・・・・・・・・レイン?
どうした?気分でも悪いのか?」
「・・・・・・・・・」
ふるる、と小さく首が振られる。
「じゃぁ、どうしたんだ?」
「・・・・・・・・・・。
・・・な、何でもないから・・・」
消え入りそうな声。
何でもなかったら、何で泣いたりしてるんだ?
隠さなきゃいけないことなのか?
・・・何だか急に腹が立ってきた。
荒っぽく足を踏み出すと、大理石の床で水が跳ねた。
「ダメッ!来ないで!」
!!
いきなり高い声で制止された。
来ないで、って何でだよ?
大体、風呂場で裸のお前とオレが2人っきりでいて、そのセリフは、知らない人が見たら(いや、知ってる人でもか?)絶対に誤解されるぞ。
「おい、レイ・・・」
「だって、私、汚いもの・・・!」
は?・・・汚い?
さっきからレインの言ってることが理解できない。
こんなにキレイなのに、何言ってるんだ?
「レイン・・・」
「・・・私、みんなを傷つけた・・・。
闇の力で、シェイドや、ファインや、ブライト様や、仲間や、ふしぎ星の人みんなを傷つけて、苦しめた!
どんなに、洗っても洗っても落ちない・・・!!」
今度はオレにも理解ができた。
そして、レインを取り戻せた喜びと安堵で、彼女の苦しみを今まで考えもしていなかった自分に腹が立った。
オレは彼女の何を見ていたんだ。
優しくて芯が強くて、いつだって笑顔を絶やさない・・・。
だけどその代わり、自分の抱えてる悲しい事や苦しい事はその胸の中に閉まってしまう。
・・・いつだって、隠れて泣いてるんだ。
なのに、レインが戻ってきたからって、ただ浮かれていた。
「レイン・・・、自分を、責めるな」
今度は、ゆっくりと近づく。
「お前は、汚れてなんかいない。
みんな、知ってる。
お前が、この星のことを、愛してるって」
あと数歩の所に、膝を抱えたままのレインがいる。
シャワーの湯が彼女を包んでいる。
水の粒が、まるで壁のようだ。
ふいにレインが顔を上げた。
ずぶ濡れの顔は、どこまでが水で、どこからが涙なのか分からない。
「・・・でも、私は覚えているの。
みんなの悲鳴、壊れていく街・・・」
膝を抱えていた手が、顔を覆い、わなわなと震えだしている。
感情が止められないのか、どんどんと声が大きくなっていく。
「私の体が、何をしていたか知ってるの・・・!
そうよ、シェイドの顔の傷・・・、それも、私が・・・!!」
「やめろ!!!!」
オレはレインの両手を掴んでいた。
「・・・もう、やめてくれ」
レインの顔が、目の前にある。
緑の目と白い肌、それを縁取る美しい青い髪。
涙と水に濡れたレインは、驚く程にキレイだった。
「お前が汚れてるんなら、何でお前はそんなに苦しんでるんだ?
本当に、心底汚れてるなら、誰が傷つこうと、誰が悲しもうと関係ないはずだろ?
だけど、お前はこうやって苦しんでる。
汚れてない証拠だ」
そっと、壊れ物を扱うようにレインを抱きしめる。
シャワーの音が雨のように響く。
どれくらい、そうしていただろう。
着ていた白いシャツは、すっかり濡れて肌に張り付いている。
髪も、ズボンも、何もかも水浸しだ。
ふいにレインが呟くように聞く。
「シェイドは、・・・怒って、ない?」
レインの目が、取り残された子供のように不安げに揺れる。
なかなか見せてくれない彼女の弱さと、今更そんなことを聞いてくる可愛らしさに、口元に笑みが漏れる。
レインの手をとって、そっとオレの頬に当てる。
「・・・怒ってるように、見えるか?」
「・・・・・・・・・・・・どうして、怒らないの?」
掴んでいた手を頬から自分の口元へと滑らせて、手のひらに静かに口付けた。
「オレはレインが傍にいてくれたら、それだけで充分なんだ」
「バカ・・・。
らしくない事、言っちゃって・・・」
ぽろぽろとレインの目から大粒の涙が零れ落ちる。
「たまには、いいだろ?」
「・・・うん、ごめんね、シェイド。
ありがとう・・・。」
涙に潤んだ目で笑って、レインはオレの胸に額を寄せた。
「シェイド、服ビショ濡れになっちゃたね・・・」
「ん、あぁ、まぁ、しょうがないさ」
シュンとしたレインの頭を優しく撫ぜる。
手のひらから、暖かな体温が伝わってくる。
その温もりに、ひどく安心してホッと息をつく。
レインが、確かにオレのそばにいる事が、こんなにも嬉しい。
指に髪をからませて、そっと口付けをする。
「レイン、愛してる」
唇が触れるか触れないかの位置で囁く。
レインの体が瞬間、震える。
「寒いか?」
不安になって、そう尋ねると、レインはニッコリと微笑んだ。
「うぅん、嬉しいの」
つられてオレも笑う。
今度は、こめかみに口付ける。
そっと、優しく。
まぶた、頬へと口付けを落とすと、レインの頬が次第に上気していく。
「・・・シェイド」
漏れる声を追うように唇を塞ぐ。
唇を合わせるだけの口付けを繰り返す。
熱い息がかかる。
レインがくすぐったそうに笑う。
ギュッとオレに抱きつくと
「シェイドが旦那様で良かったわ」と笑った。
「最高の褒め言葉だな」
オレは笑いかえすと深く口付けた。
敏感になった舌先が甘く痺れる。
唇を滑らせて、レインの白い首筋に吸い付く。
肌に赤い跡が浮かぶ。
この真っ白な世界で、それは、まるで巡礼の跡のようだ。
そう、これは祈りを捧げるのに似ている。
愛しい者の存在を確かめたくて、抱きしめて口付けて、跡を刻む。
決して失う事の無いように。
――白夜の薄明かりが目にしみる。
鐘の音は、静かに鳴り続けている。
fin.